毒蝮三太夫がウルトラマンセブンに出演してるのに名前が無い理由は?

1960年代に大流行した、円谷プロダクションとTBSが制作した特撮テレビ番組のウルトラマンセブン。

番組の正式な名称はウルトラセブンと言うそうです。

この番組に、マムちゃんの愛称で親しまれている俳優でタレントの毒蝮三太夫さんが出演しているのですが、なぜかその名前が出演者リストに上がっていません。

出演しているのに名前がない?

一体どういうことなのか、調べてみました。

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毒蝮三太夫のプロフィール

毒蝮三太夫さんは、1936年3月31日生まれの81歳。

大阪府大阪市で生まれ、東京の浅草で育ちました。

幼少期は、日本が第二次世界大戦中で、神奈川県横浜市の親戚の家に疎開していた時期もあったようです。

1948年の中学1年生の頃、舞台のオーデょションに行ったところ見事合格し、戦災孤児の役で子役デビューしました。

戦争孤児役でデビューした舞台が、

鐘の鳴る丘

この舞台に出演してからは、高校卒業まで『東宝』『大映』の青春映画に出演していました。

高校を卒業してからは、この児童劇団を辞め日本大学芸術学部映画学科に進学。

ここで新劇をやるために「劇団山王」を結成したということです。

劇団山王を通じて知り合った、立川談志さんが今後の毒蝮三太夫さんの人生に大きく関わっていったようです。

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毒蝮三太夫の名前がウルトラマンセブンのリストにない理由

1967年10月から1968年9月に放送された、

「ウルトラマンセブン」

に毒蝮三太夫さんは出演しています。

役柄は、

ウルトラ警備隊の

フルハシ・シゲル隊員。

ウルトラマンセブンに変身する人ではありません。

変身するのは、

モロボシ・ダン隊員

です。

しかし、出演者のリストにその名前がありません。

その理由を調べてみると、

1967年当時の毒蝮三太夫さんの名前が、

毒蝮三太夫では無かったからだということだったようです。

このころにはまだ、

毒蝮三太夫という名前が存在していなかった。

わけです。

で、

当時、毒蝮三太夫さんは本名で活動していたそうで、

その本名というのが、

石井 伊吉(いしい いよし)

です。

石井伊吉という名前で、しっかりとリストに載っています。

当たり前ですが、50年前の当時の映像をみても、現在の毒蝮三太夫さんの雰囲気そのままで、映像を見るとすぐに毒蝮三太夫さんだというのが分かってしまいますよ。

見た目が漫画家の蛭子能収さんで、性格が蛭子さんをもうちょっとしっかりしたような感じで、とても親しみやすい雰囲気ですよね。(笑)

円谷プロのウルトラマンシリーズは子供たちに大人気で、この後も続いていくのですが、石井伊吉さんはこのウルトラセブンで一旦出演は終わっています。

ちなみに、このウルトラマンセブンの平均視聴率は

およそ26%。

すごそうですが、

1967年の視聴率トップは、

第18回NHK紅白歌合戦の

76.7%

NHKの連続テレビ小説「おはなはん」でも、

55.7%

テレビは日本国民が注目している娯楽で、まさに今とは違う時代だった。

そんな感じがしますね。

いつから毒蝮三太夫になった?

石井伊吉さんが毒蝮三太夫になったのは、1968年12月15日からです。

ウルトラマンセブン放送が終わった直後ですね。

毒蝮三太夫さんがウルトラマンセブンに出演していた頃より前に、別番組で『ウルトラマン』が放映されていました。

この番組にも毒蝮三太夫さんは、石井伊吉の名前でアラシ隊員を演じていましたが、時を同じくして、演芸バラエティ番組の『笑点』に2代目座布団運びとして出演していました。

このときにテレビを見ていた人が、

「何で正義の味方が座布団運びやってんだ」

といった苦情が放送局のTBSテレビの方に入っていることを司会者だった立川談志が聞きつけ、芸名を付けたということです。

その時は

マムシ

と呼ばれていたそうですが、徐々に進化していき、最終的に

毒蝮三太夫

になったそうです。

最初の芸名だった「マムシ」は、

「怪獣ドラマに出演しているなら怪獣風の芸名にした方が良い」

というノリ?

で決まったそうです。

これを拒否しなかったというのもまた、立川談志さんとの関係と当時はそういう時代だった。

ということなのでしょう。

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